最初に「海」とは... 塩水の区域、 海洋、 のことであるが、 国際法的にいうと、 塩水があちこちでつながっていなければならないとか。 塩水でも外洋とつながっていない死海やカスピ海なんかは「海」とはいえない。 より厳密にいうと、国際法的には水域は以下のような種類がある。
内水というのは河川や湖沼のこと、 即ち領土内の水域全てである。 より正確には、 領海基線(baseline)の内側の水域である。 領海基線というのは上図のように干潮時の海面(低潮線low-water line)の 所から引かれ、 そこより内側の湖沼河川はもとより、 低潮線の内側の海洋も「内水」に該当する。 但し、内水の部分は国内管轄域になるので、国際海洋法の範囲外である。
又、 港湾等も内水である。 ここでいう「湾」とは、 湾口が24海里以内で(領海の幅が12海里だから)、
リアス式海岸やフィヨルド等のように海岸線が複雑な場合には、 基線もジグザグにするのは面倒なので直線基線というのが 認められている。 これについてはノルウェー漁業事件という判決が紹介された。
ノルウェーの海岸線は言うまでもなくフィヨルドだが、 その湾口は広いのでイギリスの漁業船も伝統的に フィヨルド内で操業を行なってきていた。 ところがノルウェーは直線基線を引いてフィヨルド内は自国の領海だとして英国漁船を 締め出しにかかった。 そこで英国は「そんな直線基線など無効だ」とICJ(International Court of Justice 国際司法裁判所)に提訴したわけ。 ICJは1951年に判決を下し、 直線基線は有効であるとノルウェーの主張を認めたものの、 伝統的に操業を行なってきた英国漁船の権利も十分に考慮しなければならない、 として英国漁船のノルウェー領フィヨルド湾内での操業をも認めたのであった。
公海は航行路として古くから利用されてきた。 当初は沿岸だけであったが、 大航海時代を経て海をどう航行するかが問題になってきた。 当時はスペインとポルトガルで世界の海を二分して 通行税なんかを取っていたわけだが、 ある時(1604)オランダがスペイン船カタリナ号を拿捕してしまったと。 これを弁護するためにグロティウスが「捕獲法論」なるものを著して「海洋は自由だ!」 と訴えたわけ(自由海論)。 尤も彼も陸に近いところは領有可能だとしていた。 しかし1618年に「閉鎖海論」を著したセルデン(英)は、 物理的に領有可能な範囲まで海洋は領有可能だとし、 乱獲防止のため外国人に漁獲制限を課すことを認めたり、 沿岸通航の許認可免許権限を軍事力があればできるので、 出来るものならやってもいいんだ、 といった。 まぁ結局双方とも外洋と沿岸海域を区別して、 沿岸は領有できるんだ、 と言うことは共通していた。
今では海洋の利用範囲は技術の進歩から海底資源やその地下にも及び始めている。
領海の方は、 従来当然沿岸国だけの問題であったが、 今や内陸国もその論議に関わってくる。 これはどういうことかというと、 海洋法会議の折に82程の内陸国グループが活躍したからだって。
18世紀になると、 自国の沿岸を「領海」として了解し、 その他を「公海」として公開することが一般的になる。 しかしではどこまでが「領海」か、 ということになると、 いろんな人がいろんなことを言い出していた。 オランダのバインケルスフークというオッサンは、 着弾距離説を提唱して領海幅は3海里とした。 その他の国は成るべく広い領海(12海里とか中には200海里など)を主張しており、 海底資源が見出だされてからは先進国も領海の幅を広くするように主張しだしたが、 国連海洋法条約では領海の幅は原則12海里と定まった。
領海がどうの公海がこうのといった海洋法体系は、 従来慣習法として存在してきた。 条約としては1958年のジュネーブ4条約が現行の海洋法秩序と言える。 というのも今の新しい国連海洋法条約は深海底開発制度を巡る英米独等の 先進国グループと途上国グループの対立で未だ発効していないので。 60ヶ国が批准後1年で発効するのだが(308条2項)、 現在のところ(1992年11月30日現在)批准は52ヶ国だそうだ。 旧ソ連の崩壊や東欧での分裂などがあって国家数は増えているから、 もう2年以内には発効するのではないか、 というのが高井先生の大予言。国連海洋法条約は国連国際法委員会の 初の成果というべきものらしいが、 1949年に法典化のための14項目などというものを作ったりして、 国際責任についての法典化などは30年近くやっているが、 actorで揉めてまだまとまらないとか。
また、 この国連海洋法条約は、 コンセンサス方式というのをとった。 深海底の規定を除いた大部分(領海や経済水域、 国際海峡、 大陸棚といった問題について)は 一部議論があるにせよまあ慣習法的コンセンサスがある(慣習法として 認められている)と。
というわけで58年のジュネーブ4条約が現行海洋法秩序というわけだが(既述の如く 国連海洋法条約は未だ未発効であるので)、 もしジュネーブ4条約と国連海洋法条約が齟齬を来した時にはどちらが優先されるか。 これは勿論「後法は前法を破る」の原則から国連海洋法条約の方が 優先される(但し批准していれば)。 もし批准していなければ国連海洋法条約自体は慣習法ではないのでジュネーブ4条約分が 適用されよう。 例えば大陸棚はどこまでの範囲か、 という問題で、 従来のジュネーブ4条約には1.水深200mまで、 2.開発可能限度、 という規定があったが、 技術の進歩で開発可能限度はほぼ無限大に拡大してきている。 しかしどこまでも開発してよいというのもおかしい、 ということで国連海洋法条約では最大限350海里以内になっている。 しかし同条約を未批准の国はこの拘束に拘らなくてもいいわけだ。 他方排他的経済水域等というのはもう各国が慣行として行なっているので、 国連海洋法条約で初めて規定されたものではあれど、 慣習法と認められていいという。
又、 1981年にレーガン政権が登場すると、 国が企業をcontrolするような海洋法条約は米国の国益に反するとして反対しだし、 米英仏(独)が国連海洋法条約に加盟しないという事態になった。 そして米英(独)は独自に鉱区を定めて開発をしているという。 するともし3国が国連海洋法条約に加盟したとしても、 海洋法と米英(独)の鉱区が重なっていたらどうするのか (今のところ重なっていないそうだ)、 という問題が生じているとか。
第二次大戦終戦直後の1945年9月27日、 トルーマン大統領は大陸棚の管轄権に関してトルーマン宣言というのを出した。 これは米国の科学技術の進歩によってこれまで見向きもされなかった 大陸棚の海底資源が開発可能になってきたからである。 これを新党魁(さきがけ)として他の諸国も我も我もと大陸棚に関して独自に 管轄権を主張しだした。 大陸棚に関してこのように無秩序状態が現出してはまずい、 というので国際法委員会は海洋法条約の法典化を進めだした。 で、 取り敢えず1958年にジュネーブ4条約が成立して、 大陸棚の法的地位が固まったと。
「大陸棚」とは具体的にどこまでか。 上図を見て欲しい。 その地理的と思われる定義は「海岸から緩やかに傾斜しながら続く、 水深200mまでの棚状の海底地形。 以前大陸の一部として陸上にあったものが沈水したと考えられている。 好漁場であり、 又海洋資源開発では注目を集めている」(「地理用語集」山川出版社)とある。 しかしこれをそのまま当てはめると、 アルゼンチンの沖合いには大陸棚が広がり、 又北海はほぼ全て大陸棚となるのに対し、 チリやペルーはすぐにチリ海溝やペルー海溝に行き当たってしまうので、 これではあまりに不公平ではないか、 ということになり、 国際法的にはもう少し制限を緩めてある。 1958年のジュネーブ4条約の時点では大陸棚の定義は、
のどちらかの要件を満たしている、 自国の領海と連続する公海部分であった。 そして沿岸国は、 自国の大陸棚に対して天然資源の探査開発に関して 主権的権利がある(大陸棚条約第2条)。 しかし、 ここでいう天然資源とはあくまでも大陸棚に付着しているものをいうそうで、 詳しく見ていくと魚は浮いている(海底面に付着していない)ので違うとか、 ヒラメはどうかとか、 蟹はどうかとか、 貝はよさそうだが中には泳ぐ貝もいるとか、 大陸棚の区域でも水の部分は「公海」だとか。 より正確にいうと、 海底資源は「海底面で接触、 静止してなければならない」そうだ。 バルティックで金銀財宝を積んだ沈船があるとかいう話だが、 これを外国人が見つけたらどこのものになるかとかいう余談的な話もしていた。
深海底(地理的には「大洋底」か)の資源として最も注目されているのは、 マンガン・ノジュール(マンガン団塊)である。 これは何か旧ソ連の原潜がハワイ沖で沈没したのを米海軍が 水深4000〜6000mくらいのところから引き揚げて見せて、 こんな能力があるなら世界の深海底を浚って行けちゃう、 こんなことでは先進各国の「開発可能限度」が広がって海底資源を先進国に 取られてしまう、 と途上国などは慌てふためき、 1967年の国連総会でマルタのパルド大使が「深海底資源を人類共同の遺産として、 先進国の開発するままに任せるのではなく国際機関の管理下に置こうではないか」 という提案をしたそうな。 これがかの有名な(?)パルド提案である。 又地理的大陸棚が200海里以上続いていたらどうするのか、 というような問題もあって、 1958年の海洋法秩序である大陸棚条約のままではいけないというんで、 こんなこともきっかけとなって国連第3次海洋法会議が始まった。
同会議を通じて国連海洋法条約を作ったわけだが、 これは条約本体320条付属書9典決議4に及ぶ最大の条約である。 ここでは海底資源の話に限っているので詳述は避け、 海底資源関連部分のみ触れることにしよう。
まず、 排他的経済水域というものを作った、 ということが挙げられようか。 これは自国の領海に隣接する部分の公海における海洋資源の排他的権利を定めたもの。 1972年にケニアが領海基線から200海里について、 「排他的経済水域に関する条文案」なるものを海底平和利用委員会に提出したのに 始まるそうな (授業では1952年のサンチャゴ宣言まで遡れるとか言っていたが、 それがどんなものかは聞き損ねた)。 そして同じ1972年にサントドミンゴ宣言というのが中米諸国か、 によって打ち出され、 その中で「パトリモニアル・シー」という考え方が提示された。 これを受け入れてこの排他的経済水域というものが出来あがったと。
これは、領土からは勿論のこと、他に人が住んでいる島からも取れる。 又、 排他的経済水域は権利に過ぎないので、 宣言しないと生じない。 「宣言しなけりゃただの海」
そうして海洋資源は国際海底機構に集めて各国に分配しよう、 というのがパルドー提案であり又国連海洋法条約の主旨だが、 この辺を巡っても先進国と発展途上国との間で揉めに揉めた。 従来は公海の自由、 深海底の自由が認められており、 従ってそこを開発するのも自由であったが、 深海底の平和利用委員会第一委員会では海洋資源を人類共同の遺産として ある程度自由を制限しても、 国際海底機構的なものを作って各国に平等に分け前を分配すべきだという事になった。 国連第3次海洋法会議では深海底の問題もグループ間の取引によって決定された。 先進国側は国際海底機構が各国私企業に開発のライセンスを与えるだけにすべしという ライセンス方式を提唱、 途上国側は深海底開発のための国際機関が直接開発を手掛けるという直接開発方式を唱えた。 こうした主張がぶつかり合ったが、 結局鉱区をcellに分けて分譲、 幾つかの企業の集合であるコンソーシアムが開発を受注する事になった、 のかな?
何か「国際法講義」の方には開発するのは、
という感じになっている。 そして更に途上国に不公平にならないように途上国企業体用の留保鉱区と 先進国企業体用の非留保鉱区に分けて開発するというパラレル方式というものが 考えられているとか。
又こうした資源を陸上で生産する国々は、 海洋資源の採掘には消極的で、 その生産を制限するように働きかけたりもした。
ところが1981年にレーガン政権が登場すると、 国が企業をcontrolするような海洋法条約は米国の国益に反するとして反対しだし、 米英独が国連海洋法条約に加盟しないという事態になった。 そして米英独は独自に鉱区を定めて開発をしているという。 するともし3国が国連海洋法条約に加盟したとしても、 海洋法と米英独の鉱区が重なっていたらどうするのか (今のところ重なっていないそうだ)、 という問題が生じているとか。